JK1SPQについて

TS-60S

はじまり

自分のラジオが欲しい・・・部品を集めてAMラジオを作りました。 夜になるとラジオから聞こえる海外の放送局が不思議でした。 自宅にあった短波帯のラジオを聞くと、もっとたくさんの海外の放送が聞こえました。 海外放送を聞いて思ったこと。自分の声を電波で海外へ飛ばしてみたい・・・ こんな動機で始めたのがアマチュア無線です。14歳の時でした。

JK1SPQ。 私に発給されたコールサインです。 早く無線をやりたいのですが、中学生は働いて無線機を買うことができません。 近所のアマチュア無線家のご厚意で、使っていない無線機を借りての開局でした。 高校受験前の限られた楽しい時間でした。

高校に入学すると自分の無線機が買うために、アルバイト始めます。 夏休みに稼いだアルバイト代で、両親に頼み込み『親ローン』で念願の無線機を手にいれました。 TS-520V。夢がかなったと思った瞬間でした。

挫折

アマチュア無線で自分の声を電波で海外に飛ばしたい。 その夢は無線の免許を取り、無線機を買えばかなうものではありません。 無線機以上に、アンテナは重要な設備でした。 考えずにアンテナを上げると、電波は思うように飛んでいきません。 そしてアマチュア無線は楽しむノウハウを持っていないと、おもしろいものではありませんでした。

無線機の前に座って、毎日ただ他局の交信を聞くだけでは、おもしろさを感じませんでした。 呼んでも応答が返ってこない、もちろんCQなど出しても応答はない。 そんな無線生活は長続きせず、夢は高校を卒業して上京とともに忘れ去られました。 せっかく苦労して手に入れたTS-520Vは箱に入れられ、物置の奥深くで眠りにつきました。

再開

アマチュア無線との再会は、スキーです。 携帯電話が一般化していなかった当時、広いゲレンデで仲間との連絡にアマチュア無線は最適でした。 新しいコールサインの発給を受け、ハンディ機を使いだすと子供のころの記憶が浮かんできます。 また無線をやってみたいな。 物置で眠っていたTS-520Vを引っ張り出し、アマチュア無線を再開することとなりました。 中学生だった少年は、いつの間にか父となっていました。

再開にあたり、今まで経験をしてこなかった50MHzをはじめてみました。 子供と登った近所の山で運用していた6mマンが、とても楽しそうに見えたからです。 真似で始めた50MHzの移動運用ですが、やればやるほど興味ある不思議な経験ができました。 そして近隣からはじまり、国内の6mマンとのコミュニケーションの輪が広がりました。 アマチュア無線をやっと楽しめるようになったと思えたのが、初めての開局から20年も経過してからです。 遠回りをしましたが、これからも少しずつ、長くアマチュア無線と向き合い、楽しんでいきたいと思っています。