私が7L3GQHでした  ~ WACAを目指したのはたまたま ~

1994年に開局した7L3GQHでは、たくさんの方々と交信することができました。 楽しい思い出を残してWACAアワードを受賞した後、2000年7月に閉局しました。 交信していただいた方々、たくさんのご指導やご支援をいただいた皆様に御礼申し上げます。 現在私は、JK1SPQとして再スタートしています。 新しいコールサインでも、どうぞよろしくお願いいたします。

運用期間 1994年~2000年

1983年にJK1SPQ局を閉局して以来、アマチュア無線を再開局しようなどとは夢にも思っていませんでした。 1994年に嫁をもらって子供が生まれ、平日は仕事、休日は子供と遊ぶことが楽しみでした。

20代はスキーに熱中しました。 会社を辞めて、インストラクターになってしまったくらい好きでした。 結婚して初めての冬、取引先からスキーのお誘いを受けました。 「お付き合いだから仕方がないなぁ」と言い訳をし、喜んでメンバーに入れていただきました。 一緒にゲレンデに行くメンバーは、全員がアマチュア無線のコールサインを持っていました。 スキー場までの移動とゲレンデ内では、430MHzのハンディ機を使って会話を楽しんでいるそうです。 「電話級なら、持っていますよ。」 その一言で秋葉原に連れて行かれ、開局申請書と430MHzのハンディ機を購入することになりました。 これが再開局のきっかけです。

久しぶりにスキーを楽しみ、仲間同士の交信を久しぶりに経験しました。 私だけ帰る方向が違いましたので、自宅に近づく頃には一緒に出かけたメンバー達の電波も聞こえなくなりました。 深夜一人での自動車運転は退屈です。 たまたまCQを出している局を見つけ、眠気覚ましと言っては失礼なのですがコールしてみました。 知り合い同士の交信とは違ってまごつくことが多く、相手局にご迷惑をおかけしたのですが面白く感じました。

「最近趣味らしいものは全くないし、アマチュア無線を再開してみようか。」 ということで、実家で粗大ゴミ扱いされていたHF機を物置から持ち出し、7MHzの逆Vアンテナを上げました。 運用してみると、これまた面白い。 わからないながらコンテストに参加してみると、これまた面白い。 1995年、たまたま山頂で見かけた移動局が50MHzを運用しており、楽しそうなのでFT-690mkⅡを買いました。 その後ずるずると深みにはまっていきました。

それから子供と遊ぶことが唯一の楽しみだったなんてウソのような、毎週無線三昧の道楽おやじに変わってしまいました。 毎週土日は移動運用で自宅に帰らず、家族からは呆れられましたがどうにも止まらない。 WACAアワードの完成まで突き進みました。

WACAアワードを受賞してから、なんとなく昔のコールサインが気になりました。 以前のコールサインを再申請する制度ができ、空きコールサイン照会センターで空きコールになっている事実を知りました。 7L3GQHには愛着はありましたが、旧コールを復活させて閉局しました。

常置場所 栃木県足利市

開局当時、常置場所は東京都三鷹市でした。 木造2階建てアパートの1階に住んでいて、軒下に仮設したアンテナで430MHzをワッチしますが何も聞こえません。 狭いアパートでは庭もなく、HFのアンテナはスペース的に無理でした。 毎日何も聞こえない430MHzを聞いていても面白いわけがなく、実家のある足利市ならば多少のアンテナを上げられますのでこちらに常置場所を移しました。

コン柱を建て、HFのトライバンダー八木と50MHzの7エレを上げると、様々な問題が起こります。 突然あげられた目立つアンテナに、近所からの不安の声が上がります。 電波障害、アンテナの倒壊をはじめ、健康への影響と、様々な不安の声を聞きました。 資料を作って一軒一軒まわり、ご理解をいたくまで時間がかかりました。 また家族からもクレームがきます。 アンテナがちょうどいい休憩の場となり、鳥が多数とまります。 観察をすると飛び立つときにポトッと糞を落とすようで、家族の自動車が汚れます。 自動車は全て私が洗車することを条件に、家族からのクレームを抑えました。

せっかくアンテナをあげましたが、残念なことが続きます。 常置場所が関東平野の縁で山に囲まれており、50MHzのグランドウェーブの通信には不適であることに気づきました。 数㎞しか離れていない局が交信している相手局が聞こえないということがよくあります。 結局常置場所では、Eスポやスキャッタが発生しているときだけ使うようになってしまいました。

常置場所で50MHzを聞いていると、あまりにも静かです。 さっぱり面白くありません。 こんな理由から、ロケーションが選べる移動運用が中心となっていきました。

2017年現在は、足利市は設置場所とし、三鷹市は常置場所としています。

運用実績

常置場所にアンテナを上げたものの活用することができず、移動運用ばかりしていました。 移動運用ではワッチするタイプではなく、積極的にCQを出しまくるタイプです。 以下の数字は、50MHzのみの実績です。

交信数 12,100QSO

一時は狂ったように土日祝日は移動運用に出かけ、交信数を伸ばしていた時期もありました。 父親はそこそこ家庭にいないとダメなようで、家族にはひんしゅくをかってしまいました。 休日の不在が続くと、子供経由で近所にうわさが広がります。 結婚記念日に移動運用に行ってしまったら、激しく非難されました。 何事もほどほどがよろしいようで、家族と趣味のバランスは永遠の課題になるような気がします。

移動運用 11市郡

せっかく常置場所にアンテナを上げたものの、山に囲まれていて50MHzを楽しむには厳しい環境でした。 それを穴埋めする手段として選んだのが移動運用です。 以下は、移動運用を行った市郡です。 早くWACAを完成したくて、アワードの規約の関係上(当時)、栃木県内からあまり出られませんでした。
 福島県 会津若松市 南会津郡
 東京都 三鷹市
 茨城県 下館市 笠間市
 栃木県 足利市 栃木市 佐野市 鹿沼市 日光市 今市市 小山市 真岡市 矢板市
     安蘇郡 上都賀郡 河内郡 塩谷郡 下都賀郡 芳賀郡
 群馬県 桐生市

アワード WACA(50MHz・SSB特記)

50MHzの運用をはじめてまもなく、小中学校時代の旧友と交信する機会がありました。 彼の50MHzに対する熱の入れようは驚くばかりで、50MHzの魅力とノウハウを教えてもらいました。 そして知らず知らず、彼が歩んだWACAの挑戦を自分も目指すようになりました。 振り返ると、かなり苦しみましたがようやく取得することができました。

コンテスト コンテスト入賞経験なし

はじめて50MHzを運用したのは、地元のクラブ局で参加していたオールシティコンテスト(今の全市全郡コンテスト)です。 たくさん呼ばれる面白さは、思い出として今も鮮明に残っています。 50MHzをはじめるにあたり、あのコンテストのような経験をまたしたいということでコンテストに参加しました。 しかし自分なりにがんばっても、そう簡単には入賞することはできません。 でも、呼ばれて楽しいコンテスト。後に送られてくるQSLカードでJCCやJCGのアップが楽しみでした。