いろいろな移動運用があった  ~ いろいろあったからこそ楽しめました ~

何もわからず50MHzの世界に飛び込んで5年間。 様々な移動運用があり、たくさんの経験をしました。 失敗した経験の方が多いのですが、今となってはいい思い出です。

無知の運用

開局してから1年経過した頃、FT-690mkⅡとFL-6020を買いました。 50MHz初心者なりに電波が飛びそうな近所の山に出かけて運用すると、思いのほか交信ができました。 「なんだ、JCCはどんどん増えそうじゃないか」と無知な夢はどんどん膨らみます。

持っている知識は、国家試験のために勉強した教科書のレベルだけ。 CQを出しては近隣の局に相手にしてもらえ、「これだけ呼ばれれば、楽しめる」と勘違いスタートとなりました。

ある日、コンテストに参加しました。 十分だと思い込んでいた2エレのHB9CVと10W機。 コンテストの最中にもみくちゃにされて交信数も伸びず結果は下位。 JCCもすぐ伸びなくなり、非力な設備でEスポではなかなか交信の順番が回ってこない。 このような運用を続けていたら、3ヶ月で飽きてしまいました。

移動運用が楽しくなる

50MHzに飽き始めた頃、偶然に旧友と交信することができました。 50MHzの移動運用を楽しむ友人に、あらゆることを教わりました。 アドバイス通りに運用すると、今までと違う地域の交信ができます。 交信できたJCCも一定のペースで増えてきました。 アクティブな局の指導を受けると、また違った楽しみ方がわかるものだと思いました。

3アマをとり、TS-60Sと6エレのHB9CVを買いました。 もちろん購入には旧友のアドバイスがあります。 JCC数もさらに増え続け、楽しい移動運用がしばらく続きしました。

JCCが600を超えると伸び悩みます。 振り返ればJCCが400~600の頃が一番楽しかったと思います。 毎月送られてくるQSLカードを見るのが、本当に楽しい時期でした。

WACAやWAGAの完成に立ち会う

50MHzを通じて知り合った栃木県内局と様々な情報の交換がありました。 地域的には広がりますが、日ごろから付き合える局がローカル局だと思います。 そのローカル局達が、連続してWACAとWAGAを完成しました。

最後の交信となる市や郡は、電波がやっと届くような市郡で、移動運用で交信しました。 その運用に私も同行して、WACAやWAGAの完成を祝いました。 私はローカル局達に比べて50MHzをはじめたのが遅いから仕方がないことなのですが、皆に置いていかれたようでさびしい気持ちもありました。 いつか私も完成を祝ってもらおうと思いました。

ため息がでる移動運用

朝、未交信の市と交信するために自動車を走らせます。 期待を膨らませて運用するのですが、全くJCCが増えません。 今まで順調にJCCの数を増やしていただけに、成果がないと何のために移動運用したのかため息がでます。 今まで経験した趣味の中で、こんなにストレスを感じたものはないかもしれません。 それくらい50MHzによるWACAの受賞は簡単ではないという証拠です。

国内には50MHzでWACAを目指す局がたくさんいます。 50MHzを楽しむ局もたくさんいます。 だんだんJCCが伸びなくなったタイミングで『未交信リスト』を公開し、交信を支援してもらうことがあります。 いつの段階でリストを公表するべきか、ローカル局に相談しました。

ローカル局のアドバイスでは、未交信の市が50市以上ある状態で未交信リストを公表しても、努力不足とみなされ誰からも相手にされないと言われました。 確かにJCC500位で、電子メールで未交信リストを送っている局もいますが、図々しいと思ったことがあります。 でも、少しでもWACAに近づきたい。 家にいてもため息がでます。

その代わり、ミーティング等で知り合った局に地域の運用状況を電子メールで教えてもらいました。 固定局がいる、移動運用しにくいなど、たくさんの情報が集まりました。 苦しみながらも一歩一歩WACAに向かって進んでいった時期もありました。

未交信リストが公開される

未交信リストは、残り20市になったら公開しようと心に決めていました。 残り30市となった頃、ミーティングで知り合った50MHzのアクティブ局に未交信の市を聞かれました。 今後の移動運用の参考にしたいとのことです。 要望の通りに未交信リストを電子メールで送ると、知らぬ間に掲示板に掲載されていました。

予定外の未交信リストの公開となりましたが、さっそくたくさんの局からアドバイスや移動情報をいただきました。 これをきっかけに停滞していたJCC数が増え始めました。 公開していただいた局には、たいへん感謝しています。

空振りに苦しむ移動運用

全市交信まで10市を切ると、自分でも抑えているつもりですが目の色が変わってきます。 ここまでくると、平日の運用も有給休暇を使って移動運用に出かけてしまいます。 会社には詳細は語れず、『私用』で押しとおしました。

未交信である市の運用情報があると、大喜びで移動運用に出かけます。 運悪くコンディションの見放されて、大きく落ち込みます。 期待が大きいだけに、ショックも大きいです。 「所詮遊びの世界だから」と自分に言い聞かせますが、このままWACAを受賞できないんじゃないかという不安がよぎります。 不安で50MHzから逃げ出したい気持ちもありました。

うれしい支援

今年中にWACAを受賞するには、特にEスポでの交信範囲に対して勝負をかけなければならない時期になりました。 1つもJCCが増えない移動運用が連続して辛さを感じていました。 その日は複数の電子メールや電話で、移動情報をいただきました。 コンディションを祈る思いで移動運用に向かいました。

運用地に到着し、アンテナを上げるとコンディションがよくありません。 がっかりしながらノイズを聞いていると、明らかにコンディションが変わってきています。 50MHzらしいコンディションの急変で、強力なEスポが発生しました。

移動運用情報に合わせて、未交信の市を一つ一つ交信していきます。 結果として5市と交信でき、大きくWACAに近づくことができました。 今まで続いた空振り移動運用がうそのようです。

私が運用していることを知り、わざわざ私の未交信の市まで自動車を走らせてくれた方がいました。 変化するEスポの入感状況を逐次教えてくれた方もいました。 今日は、たくさんの支援があって交信ができました。 WACAは自力での完成は非常に困難です。 人とのコミュニケーションがあってこそ完成できるアワードだと思いました。

そのとき

2000年7月19日、水曜日。 会社には有給休暇を出して、栃木県芳賀郡益子町にいます。 最後に残った香川県観音寺市を交信し損なないよう、グランドウェーブとEスポ、どちらにも対応できるポイントで、そのときを待ちました。

待っている途中、雷雲に襲われました。 夕刻、雷が鳴り響く中、強力なEスポに助けられてJH7OHF/5と交信し、長いWACAの挑戦が終わりました。 JH7OHF局の祝福がスピーカーから流れ、その声が今でも目を閉じると聞こえてくるような気がします。